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連載SF小説2

​獅子の首飾り

1 贈り物

昔々、森と湖に囲まれた小さな国がありました。
隣国との境には、エメラルド色の透き通るような水をたたえた美しい湖がよこたわっていました。
ある日、一人の青年が湖のほとりを散歩していました。
ふと、向こう岸に眼をやると、そこには、物思いにふけった様子でたたずんでいる隣国の美しい少女の姿がありました。
ダークブルーの衣に身を包み、うつむきかげんの少女の姿に、青年は、ウットリとしてしまいました。
その瞬間に恋に落ちてしまったのです。
少女の姿をぼんやりと眺めているだけで、とても幸せな気分でした。
でも、
瞳は何色かな。
顔をあげて欲しい・・・
どんな声で話すのだろう。
声が聞きたい・・・
どんな事を考えているんだろう。
お話がしたい・・・
彼の胸には、甘酸っぱい苦しみが膨らんでいきました。

実は、少女の胸の中にも、すでに、彼がいたのでした。
数日前、彼女の方が先に彼を向こう岸で見かけたのでした。
この日、彼女もまた、彼のことを思い、たたずんでいたのでした。
少女は、胸に飾られた、星の形をしたペンダントに手を遣り、その形を指先に感じながら、思ったのでした。
「そうだわ、お母様やおばあさまが教えてくれた。流れ星に願い事をすれば、どんな願い事も叶うと・・・」

青年が、ふと、少女の胸元に目を遣ると、星の形をした綺麗な飾りがありました。
「星が好きなのかな。本物の星があれば、どんなに喜んでくれるだろうか。何とかして、星をプレゼントしたい・・・」
彼は途方もないことを空想するのでした。
何とか星を手に入れる方法はないものか。
彼は、考えました。
書物を紐解き、長老に教えを請い・・・

そして、一つの希望を見出しました。
この国には、近隣には比類ない高山がありました。天の星にも手が届こうかという岩山の頂には、はるかな祖先が作り上げた聖なる洞窟があるといいます。そこへ行けば、どんな願い事も叶うというのです。
何とかして、そこまで行くことが出来れば、星が手には入るかも知れない。
彼に迷いはありません。万全の準備をして、岩山に立ち向かいました。
切り立った岩肌を上っていくのは並大抵の困難ではありませんでした。
でも、あの少女の姿を思い浮かべるだけで、彼は、苦労など少しも感じませんでした。
やがて、自分の国やあの湖が一望できる、すばらしい眺望が開けてきました。
彼は休むことなく、
オレンジ色の太陽が沈んでも、昇り続けました。
夜になり、星々が輝き始め、あの湖も、月の光を浴びて、昼とは違う趣の美しさを見せていました。
額の汗を拭って、夜空に聳える岩肌に目をやると、何かがキラリと光ったように思えました。
「もしかしたら」
彼は期待に胸をふくらませて、先を急ぎました。
やがて、聖なる洞窟が彼の眼前にあらわれました。
水晶のようになめらかな洞窟の入り口が、月の光に照らされて。きらめいていました。
「やった!」
彼は、満面の笑みをうかべ、力を振り絞って登り続け、ついに洞窟の入り口に手をかけることが出来ました。
ふと、遙か下方、湖の方に目をやると、人影がありました。
目を凝らすと、岸に、あの少女がいたのでした。
彼は、心踊らせました。
もう少しで、星をあげるからね・・・
しかし、少女に思いをはせた瞬間、彼は、足を踏み外してしまいました。
ここまで、苦労して登ってきた絶壁を、なす術もなく、落ちてゆきました。
かれは目を閉じ、彼女を思いました。星を彼女へ贈りたかった・・・
こんな状況にもかかわらず、かれは、なぜか穏やかな気持ちになり、同時に、体全体が光り輝き出しました。
少女がふと、夜空を見上げると、そこには、流れ星が・・・
少女はとっさに、胸の前で両手を合わせました。
「どうか、あの人に、もう一度逢わせて下さい」
そう祈り、彼女も目を閉じました。
刹那の静寂の後・・・
青年が静かに目を開けると、そこは、あの美しい湖の岸でした。
すぐそばに、月の光に照らされたあの少女の姿がありました。
目を閉じていた彼女の方も、ゆっくりと目を開けました。
彼女の瞳の色は青年が思い描いていた通りの湖と同じエメラルドグリーンでした。

               めでたし、めでたし

オリジナルに含まれる様々な素敵なエピソードを割愛したダイジェスト版ですけれど、そのエッセンスは十分に味わうことが出来ます。素敵ですよね。みなさんが、よくご存じのこのお話、わたしも大好きです。
でも、この物語の中には、ものすごく進んだ科学技術が隠されているってご存じでしたか。

・・・ん。 この話 ご存じないですか。
だって、「贈り物」ですよ。
日本で出版された後、すぐに、何カ国語かに翻訳されて、海外でも評判が良かったし。
そうそう、作者が数学の教授というのも話題になりましたよね。
 
・・・・・・・・・

もしも、あなたが、「こんな話聞いたことない」と思われるとしても心配はいりません。

物語を読み進まれるうちに、きっと、このすてきなお話を自分も読んだと確信されるに違いありません。

素晴らしい科学技術の種明かしは、それからということにしましょうか。
 

2 楽園の湖

三本の巨大な鋭い刃物のような牙がモレスの背後から襲いかかろうとしていた。
しかし、彼は、平然として、玉座に深く腰掛けたまま、微動だにせず、遙か下方に広がる大自然を眺めていた。
まるで、そこに座すものは、あらゆる恐怖から解放されるのだとでも言うように。
四方とも絶壁にかこまれた険しい岩山の山頂近くが鋭く切り出され、小さな洞窟が造られていた。洞窟内の壁面は、荒々しく削り取られていたが、床だけは、凍った池の表面のように冷たくなめらかであった。その中央に玉座はあった。
玉座の数メートル先で、なめらかな床は崖となって終わっていた。
そこまで進めば、視界を遮るものは無くなり、昇ってきたばかりの太陽に照らされた雄大な光景を目にすることが出来る。
玉座の肘置きにそっと添えられていた掌に力を込めて、彼は、ゆっくりと玉座から立ち上がった。
姿勢を正し、一歩、二歩と歩み出したが、そこまでだった。
玉座によって封じ込められていた恐怖心たちが玉座を離れたとたんに蘇り、襲いかかってきたとでも言うのだろうか。彼は、ひざまずかずにはいられなかった。
ひざまずき、そして、両手を冷たい床の表面にしっかりとつけて、おそるおそる、切り立った洞窟の端から身を乗り出した。
遙か下方、霞が深く立ちこめていたが、目を凝らして眺めると、霞の向こう側に蒼く清んだ湖が広がっていた。

彼が、遠い昔、愛読書のなかで、何度も体験している場面だ。

彼の一番のお気に入りの場面だ。

デジャブなどではない。

彼が腰を下ろしていた玉座も、玉座の背後、洞窟の奥の壁面に掘り抜かれた獅子を思わせる恐ろしい形相の獣も、さらには、見事な水晶の三本の牙も、すべてモレスの業績に対するささやかな報酬であった。

水晶の牙の色合いも、威厳に満ちた玉座、さらには、恐怖心を抱かずにはいられない切り立った断崖絶壁、すべて、彼が読書の中で、頭の中に創り出したイメージがそのまま再現されていた。

四方を絶壁にかこまれた険しい山の内部には、惑星グラティア全土に張り巡らされた緊急危機回避システムの中継ステーションのひとつが納められている。
システムの根幹をなす技術は、モレスの物理学上の大きな業績に支えられていた。
ステーションの設置される場所は様々であった。
岩山に包まれたこのステーションに、愛読書の一場面を再現してほしいというモレスの希望は、当然ながら、あっさりと叶えられたのである。

「なにが、緊急危機回避システムだ。こいつの世話になることなど、金輪際あり得ない」
彼はつぶやいた。
「君は、システムの原理をちゃんと理解した上で、そのような事を言っているのか?」
モレスの苦言は、岩盤まで同行してきたこのステーションの管理者の次のような言葉に対するものだ。
「たとえ、岩盤の端から足を踏み出されても、何も危険はありません。しばしの自由落下をお楽しみになれるだけです」
 そんなわけないだろう。
モレスは、
「では、自由落下を二人で楽しむことにしよう。お先にどうぞ」とでも言ってやろうと思ったくらいである。
システムの生みの親と言っても過言ではないモレスだったが、かれは、心底から、システムは「危機回避」たり得ないと考えていた。
数学者であるモレスは厳密な論理展開の末、そう結論づけたのである。
玉座から離れ、断崖に近づいたとたん、足がすくんで、ひざまずいた事が、その何よりの証拠である。
しかし、十数年後、モレスは論理展開を修正することになる。
時間量子理論を発表した後、かれは、岩山のシステム管理者に謝罪をしなければならなくなるのであった。
論理の人であるモレスは、厳密な論理の末にたどり着いた結論は受け入れることが出来る。たとえ、それが、直感的、感情的に受け入れがたい事柄だとしても。
時間量子理論を発表後、もしも、彼が再びここを訪れたなら、腰掛けていた玉座から立ち上がり、ひざまずくこともなく、まっすぐに岩盤の端へ向かい、平然と中空へと足を踏み出すことだろう。

彼は、僧衣のポケットから金属のワイヤーが複雑に絡み合ったオブジェを取り出した。量子力学の重ね合わせの原理をイメージしたものである。台座には彼の名が刻まれている。
システム完成後に、彼に贈られた記念の品である。
彼が喜ぶと考えた関係者は少数派だったが、多数派の予想は裏切られることになる。
「重ね合わせをうまく表現している」
彼の感想である。
彼は、ひざまずいた格好のままで、右手に持ったお気に入りのオブジェを頭上に掲げ、断崖の先の中空に差し出した。
「これは、大丈夫だ」
「自由落下を楽しみたまえ」
そう言って、彼は手を離した。
オブジェは湖に向かって落下していった。
絶壁は険しく、ほとんど垂直に聳えていたから、オブジェが岩肌に接触することはなかった。
彼は後ずさりして、玉座に戻り、深く腰掛けて、目を閉じた。
胸の前で両手を合わせ、祈りの言葉を唱えるように、小さな声で何かつぶやいた。
その直後、落下していたオブジェは光り輝き、消え去った。

 

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